(3−3)+2 ある少女のブログ

私たちは、普段の生活で命の危険を感じることは少ないと思います。
交通事故とか病気ならともかく、爆弾や銃によって
死ぬかもしれないと思うことはないでしょう。
しかし、世界のある地域に住む14歳の少女は、
テロや爆撃で眠れぬ夜を過ごしています。

イラクでは、インターネットの普及率は1%にも満たないそうです。
そのイラクでブログを書いているのだから、なかなか裕福な家の子どもです。
この子のおかげで、イラクではどんなことが起こっているのか、
世界中の人が知ることが出来るのです。


『昨日、私の叔父が米兵に撃ち殺されました。
でも彼らはごめんと言っただけでした。
いつものように。』
↑の文は、イラクに住む少女が書いたブログの一部です。
私はこの文を読んだとき、悲しくなり、驚きました。
叔父さんという自分に近い人が撃ち殺されたのに、
この文章からは悲しみは伝わってきませんでした。
ただ淡々と事実を述べている、という印象を受けました。
そして、人を殺しておきながら、遺族に「ごめん」の
一言で終わらせてしまった米兵。遺族の悲しみが分からないの?と
思ったのですが、もしかしたら、米兵も悲しい人なのかもしれないと
思いました。人を殺しても、一言で片付けられる
心を持っていることが、悲しいです。
最後の文字の「いつものように。」は、
少女がこの悲しい状況に慣れているように感じます。
慣れて、それが普通のことになってしまっているのでしょう。
そして、米兵が多くのイラク人を殺していることも読み取ることが出来ます。


私は戦争やテロを経験したわけではないけれど、
やってはいけないことだ、ということは分かります。
私でさえ分かるのに、どうしてやっている本人は分からないのでしょう?
人を殺すことは、楽しいでしょうか?
毎日びくびくしながら生きて、楽しいのでしょうか?